リズムボーイが行く

ワンコイン・センベロ たまにエロいのは愛嬌で許しての適当なじじいの日記

西能登町町名変更をとなえる方

こういう方が、町のトップにいるとは、残念です。
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少なくとも志賀町で御商売をされている先生なんですよね。残念です。以下志賀町
の由来です。
地名の由来
 
志賀町の志賀は 「角川地名大辞典」には 「土田荘 堀松荘 甘田荘 大阪保の4荘保をまとめて四ヶ称し その四ヶに志賀の文字を当てた」 とあり 志賀町商工観光課と観光協会が発行した志賀を紹介するパンフレットは この説にしたがったのだろう 「古くから『四ヶ』また『志賀郷』と呼ばれてきた」と書いている。 ところが 町の職員によると 郷土歴史家の調べで 博多湾入口にある安曇族の根拠地志賀島との結びつきもでてきた(未発表なのか 私は 具体的な根拠をまだ目にしていない) そうだ。 

 安津見地域については 
「角川地名大辞典」に 「海人族の安曇族に関連するものという」とあり 吉田東吾は「大日本地名辞典」に 「(安津見に)奈豆美比咩神社あり 社伝に海神の女を祭るといふ 奈豆美は安豆美の謬(誤)ならむ」と書いている。
 また 
「日本歴史地名大系」には 「古代海人族安曇氏の居住地ともいわれ 式内社に比定される奈豆美比咩神社が集落背後の山中に鎮座 祭神は豊玉毘売命 先史時代の遺跡は おもに米町川 安津見川流域に分布する。 安津見川の流域には 弥生時代から古墳時代へかけての集落遺跡がある」と記している。
 
 以上のことから 志賀町の志賀と志賀島の結びつきは どの地域がそうであるのか 現段階ではわからないので 今後の課題としても 安津見地域は 安曇族との結びつきを示唆している。 奈豆美比咩神社については「倭名抄」にも安津見地域にあることが記されている。 祭神の豊玉毘売命は 綿津見神の娘で 山幸彦すなわち火遠理命(ホオリノミコト)との間に 神武天皇の父親に当たる鵜葺草葺不合命ウガヤフキアエズノミコト)を生んだ ということになっているので 奈豆美比咩神社は 海神と結びついた神社である。 
 また 地相から見ると 湧き水が豊かで 棚田があり 安津見川を水路に日本海ともつながっているなどの点からも 安津見地域が 安曇族と結びついた地で 弥生時代のはじめに 水田稲作耕民が入植したと推理しても不自然ではない。 今後 遺跡から年代の判明や水田稲作の痕跡が出ることが期待される
 
志賀町のHPから引用しています。
ちゃんとした、由来があるのに。志賀町がいやであれば、でていけば良いのでは
ないのでしょうか?
西能登町と町名変更を唱えている先生は、志賀町に居住する権限は?????
 
てらおか風車ってなんぼのものなのでしょう?そんなに発言力がある、企業なの?
石川県には、地域にあった町名を残すべきではないでしょうか?
というか。日本の各都道府県にはですね。